カレーは記憶
カレーとは「郷愁」を誘う食べ物かもしれない。日曜の昼下がり、母が昔、作ってくれた野菜ゴロゴロのカレーが懐かしくなることもある。晴れた日など無性に食べたくなる。
カレーライスかライスカレーか。ご飯の上にカレーがのっているのが前者で、ご飯を避けて皿の脇にカレーがあるのが後者だそうである。「外の食堂で食べるのがカレーライス。家で女房がつくるのがライスカレー」。そんな説を唱えていたのは作家の山口瞳さんだ。
私の友人のイラストレーターは「たかがカレーというなカレーですね」と言う。ニューヨーク、パリ、ローマ、バルセロナ、バリ島……。世界各地を訪ね、街や人々の表情を描いている方だ。日本に帰ってきたら、まずカレーを食べるのが楽しみ、だという。
そういえば、食い倒れの街・大阪の隠れた名物はカレーではないか、と私は思っている。街を歩いていてもカレーの専門店は多い。国産初のカレー粉をつくったのは大阪の薬種問屋。その後、ハウス食品が「ホームカレー」というカレー粉を発売。戦後は江崎グリコが固形ブロックタイプのルーを開発した。
新しいもの好きの大阪人の血が、カレーを食卓の味に進化させたのだろう。
「ご飯にあんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい」。卵入りライスカレーを、大阪出身の織田作之助は小説「夫婦善哉」でそう激賞した。「インド人もびっくり」というカレールーのCMがあったが、やはり懐かしさを覚えるのは、大衆食堂で出てくるような平凡なカレーだろう。
朝日新聞編集委員 小泉 信一